愛するということ


ども、沖縄SUNです。

秋ですかね。だいぶ涼しくなってきました。私はこの1週間、体調不良でして、金曜日は仕事を早退するという、今の仕事では初めての経験をしました。今も体調面万全ではなく、頭がぼぉ~ってしています。そんな状態だからこその今日のテーマです。

今日のテーマは「愛するということ」

でっかいテーマにしましたが、頭が働いていないのは事実なので、支離滅裂なこと書くかもしれません。それはそれで面白いかなと思っています。読んでいる方にとって面白い文章になるかはちょっと微妙なところです。

さて、今日は愛について2冊の本と幸福についての本1冊を読みながら、愛って何だろうということを考えました。

愛するということ

愛するということ

愛とためらいの哲学 岸見一郎著

愛するということ エーリック・フロム著

幸福の研究 デレック・ボック

結論、愛はまだよくわからない。よって、これからも勉強していく!

私が20代後半の時に付き合っていた女性と(職場恋愛)だったのですが、その時に職場で愛を語る会というサークル作りたいって言っていました。とても恥ずかしい思い出です。

あの時から、ずっと真剣に愛について考えていたと思います。愛に向合ってきたかなと思います。人を愛するということはどういうことなのか、私は彼女を愛しているのか、これは愛なのかetc

その彼女と結婚するしないの話を飯田橋の居酒屋でお話をしていたところ、ある歯科医から、「結婚したいなら、こどもを作ればよい」と言われたのは良い思い出です。私は順序が違うから授かり婚(できちゃった婚)は嫌なんですよねとお話しをした記憶があります。今も変わらないですね、この考え。

その時、私のメンターが教えてくださったのは、「その人と愛し合う関係にならなくても、ほかの誰かと幸せになるのであれば、その幸せを祝福するのが愛である」と。

まだ若かった私には難しいなと思いましたが、愛とは貴いものなんだなと感じました。

 

私は、10年以上前に中学生の支援をしていました。その彼女の孤独というか闇を持っているなと思い(一匹狼的な中学一年生だった)、積極的に声掛けをしていました。

特別な支援を行っていたということではないのですが、ただただその彼女に向合っていた記憶があります。

そんな彼女が20代後半になった時にお会いする機会がありました。私、告白されたんですね、あの時好きだったと。今も尊敬していると。尊敬している人しか愛せない、なんてかっこよいセリフを40代のおじさんに伝えらえるって、素敵な愛だなって感じました。

なぜ俺なんだという話なのですが、私が支援していた時が彼女にとって一番しんどい時だったようで、家庭のこと学校のこと、部活のことで、とてもつらくしんどい状況だったそうです。私が唯一理解してくれる人だったとのこと。

そうだったんだねと頷きながら、あれ、あの当時そういう話一切していなかったよね、私も一切聞いていなかったし。

私の癖かもしれませんが、悩んでいる人に何を悩んでいるの?なんて聞かないんですよね。ただただ、寄り添うっていうか、理解できる人でありたいと思っていただけです。それって技術なのかな、想いなのかな。うーん、フロムは愛は技術とおっしゃっているんですよね。岸見先生も技術だと書いてある。うーん、これは技術なんだろうか、何という技術ですかね、私にはよくわからない。

私は、昔から応援することが好きなんですね。支援というより応援だと思っています。そう、応援する人なんですが、そこには愛があるのではないかと思っているんですね。自分で言うのも恥ずかしいですけどw

それで、応援も愛なのかと考えたりしている私ですが、愛は技術ということで、愛する技術、愛される技術があると思うのです。

フロムは、人間の一番強い欲求についてこう書いています。

人間の最も強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。

孤立感を最も克服するもっとも一般的な方法は、集団に同調することである。集団に同調することによって、個人の自我はほとんど消え、集団の一員になりきることが目的になる。

よって、フロムによる愛とは、孤独な人間が孤独を癒そうとする営みであり、愛こそがより幸福に生きるための最高の技術である、ということなんだそうで、ここに出てきた幸福な状態についても私は気になるのです。幸福ってなんだろうって。

そして、フロムは愛についてこのようにも書いています。

愛の能動的性質を示しているのは、与えるという要素だけではない。あらゆる形の愛に共通して、かならずいくつかの基本的な要素が見られるという事実にも、愛の能動的性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊重、知である。

愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない。

ちなみに私は、outsider人間で、孤独を愛する人です。だからモテないし、恋愛でもうまくいかないんだろうなと思うところがあります。言われますよ、あなたは一人で生きていけるって。

いや、一人で生きていける。それはそうだ。でもね、よりよく生きるために、愛するパートナーにいて欲しいって思うのはおかしいかい?人生をともに歩むパートナーがいて欲しいって思ってたぞ!

私は、安易な同調はしないし、誰かや組織に依存したいと思わないし、一人でできることは一人でやっていきたいと思う人なんですよね。孤独を愛する人とも言えますかね。

さて、独り言は置いといて、人にとって、生まれてきたときから一人であり、一人で生きていくからこそ、孤独を感じ、誰かから無償の愛で守られたいと思うのは当然の欲求だと思います。

だから、私はそんな欲求を満たせるよう、愛をもって接していきたいなと思うのです。

生きているって、しんどいことたくさんあります。思い通りにならないことばかり。高校や大学の入試でうまくいかなかったり、部活で挫折したり、友人関係で苦しい思いをしたり、社会人になって仕事での躓き、失恋など、自分自身の価値を低く思ってしまうことたくさんあると思います。友人はうまくいっているのに、私はこんなにうまくいっていない、なんて思い詰め、自分を苦しめることあるのではないでしょうか。

自分だけ、なんか蚊帳の外にいるような感覚でしょうか、これが孤独や孤立なんでしょうか。自分自身に絶望したり、自分の価値をものすごく落としたり。

そんな、うまくいかないときこそ、自分に言い聞かせて欲しいんです。

その試練は乗り越えることができる人にしかやってこない。

貴方は、その試練を乗り越えられる人だから、こんな大きな試練がやってきたんだと。

あなたにはこの試練を乗り越えるだけの技術&ハートと支えてくれる仲間がいる。

試練の中にいるときは、希望が見いだせないと思います。よーく、思い出してほしいのです。あなたは、これまでの人生でたくさんの試練を乗り越えてきたはず。

いろんな人に支えられてきたはず。

あなたには能力があります。そして、可能性があります。絶望ではなく希望があります。自分が思っている以上にあなたの存在は貴いのです。

考えただけで、ワクワクしてきます。希望って自分がやりたいことでそれを実現できる能力があるってことです。楽しいですよ、希望って。

 

私は自分に言い聞かせている言葉があります。

「たった一人のこの世に存在している私。その私が私を人事られなくてどうするんだ、私はできる。私には可能性がある」

 

私自身、一人好きだから、これからも一人、応援の旅をするのだろうなと思っています。今もね、応援しているし、これからも応援していきたいなと思っています。

フロムが言うように、愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけていきたい、私にとっての応援は愛かもしれないです。

私は、幸せになって欲しいって思うんです。人生はとても素晴らしいって感じて欲しい、自分はかっこいいし、素敵だし、能力あるし、可能性たくさんだし、生きるって最高だななんて思ってほしいなと思うのです。

幸せになるための応援をこれからも続けます。

この想い、届いたかな。

※9月に沖縄に帰り高校時代のチームメイトに色々言われました。これからの人生について。私が今一人で神奈川に出て取組んでいることを理解しているのですが、このままじゃいけないだろうと。一人孤独でやっていくのかとw あれだけ自己中心的なチームメイトが他人のこと気になるようになったことに私は驚きました。あの時もたしかチームに派閥があって、私はどこにも所属しないし、特定の人だけと仲良くするってことはしていませんでした。いつもあいつらのフォローばかりしていたので、あいつらから俺のことをフォローするような言葉が出てきたことに驚きました。このことはまたいつか書こう。

 

 

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