ナラティブ・セラピー~社会構成主義の実践①~


ども、沖縄SUNです。

横浜は春の気配を感じています。少しずつ暖かくなってきています。暖冬でしたから、横浜の地で雪を見ることはございませんでした。悲しいなぁ

さて、このブログは私が読んで欲しいことを書くブログですが、これから学んだ本をについてもっと書いていきたいなと思っています。私は伝えたいことがたくさんあるのですね。応援メッセージを送りたい人だと思います。メッセージを送りたいのですが、送る場が限られているので、ここに書いていきたいと思います。

 

今日からこの本のことを書いていきます。

ナラティブ・セラピー 社会構成主義の実践 S・マクナミー K・J・ガーゲン著

社会構成主義という言葉を聞く機会は増えていくと思います。最近、ナラティブという言葉を職場で聞く機会が増えました。また、本やマスメディアでも、キャリアカウンセリングの世界でも取り上げられてきています。その理由はわかりますw 本というに人を応援するためには社会構成主義の視点、思想が必要とされていると確信しています。だから、私は社会構成主義の学びを進めていきますし、伝えていきます。

この本の序章には、このようなことが書いてあります。

人は何か解決すべき問題に直面したとき、それをただありのままに見ているわけではない。例えば、ある病気が治療を要するものかどうかは、目の前の状態よりもその病気の知識に左右される。つまり、われわれは、それまでの人生で得てきた体験を通して物事を見ている。ここで大切なのは、われわれがそうした見方を正当化する言葉を持っていること、さらに、何が見えたのかを記述し説明する語彙を持っていることである。こうして、人は、あらかじめ用意された理解の方法をもって人生の様々な局面に挑み、なにを問題とすべきか知る。序章P9

 

私たちは、その持っている知識によって物事の理解を進めていきます。よい、悪いも含めて、あらかじめ用意されたものを使って人生の良し悪しを見ているかもしれないです。

私たちは何か課題を見つけたとき、その課題を解決するために専門家と呼ばれる人のところに行くことがあります。その人たちはその人が持っている世界、言葉を使って、その人が課題のある人だと認識し、課題解決案を提案、病気であれば治療をしていきます。

社会構成主義の考えていくと、その課題と呼ばれているものが、本当に課題なのか、否か。その人に課題があるのか、否か、という部分に焦点を当て考えます。

それは、社会が作っているこれまでの常識的な考えが、その人を課題のある人と見ている可能性があるからです。

もしかすると、その人に課題があるのではなく、社会に課題があるのではないか、その可能性を見ていくことができる考え方と社会構成主義は言えるかもしれません。

 

私は、社会の常識的な考えに縛られ苦しんでいる人を一人でも楽になって欲しいなと思うのです。

今日はこの辺で。

次回は、第一章 家族療法のための再帰的視点 リフ・ホフマン

 

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