社会構成主義の実践~ナラティブ・セラピー~②


ども、沖縄SUNです。

今日は雨模様の横浜です。肌寒い1日になりそうです。洗濯物が乾きにくくなりますねぇ

さて、6日(金)に私の夢が1つ叶いました。私が学んでいるナラティブ・セラピーの講習会が私の勤める会社で実施されました!また、講師は国重浩一さんで私が尊敬するナラティブ・セラピストで、とても興奮しながらの受講になりました。

久しぶりに国重さんにお会いでき、2回も握手してしまいましたw

ナラティブ・セラピーは人が抱えている問題をその人に責任にせず、問題を人から離し(外在化)、問題がなくなる状況を作り出していきます。問題を人から離すことで、問題がどのようなものかよく見えてきますし、問題が自分の外にあることがわかれば、その対処法も見つかりやすくなる。なによりも、心がとても軽くなります。私に問題がないとわかるわかですから。問題は、社会の側にあるという言葉があるのですが、私たちが日々問題と感じていることの中に、社会の常識的なことに縛られることによって、問題化することあります。

例えば、不登校は良くないことである。それは学校のある社会での学校や親、社会が決めた常識、ルールですが、学校のない社会ではそのようなルールがないため、不登校が問題になることはない。学校を休むことを不登校という言葉に変えて、問題化してしまったことが不登校のこどもたちを追い込んでしまっているんですよね。

男性は強くないといけないとか、女性は家事ができないといけない、など、大きな意味を持たない言葉と思うかもしれませんが、その言葉が問題を作り、その人を苦しめます。ジェンダーバイアスですね。

 

現実はいつも対話から生れる、という著書があります。著者はケネス・J・ガーゲン。社会構成主義の研究に多大な貢献をした研究者です。

私たちは、言葉を使って物事を考えます。言葉を使ってコミュニケーションを行います。人間が生きていく、そこには言葉が必要になってきます。

その言葉をどのように使うのか、その言葉をどのように意味づけていくか、それによって私たちは現実を作り上げていきます。

昨日、ダイアログ・カフェに参加してきました。そこで一つの言葉をキーワードに対話を行います。そのキーワードとなる言葉の意味は、参加する人によって違うのです。ポジティブな意味でとらえている人もいます。ネガティブな意味として使っている人もいます。

その意味付けをどのようにするかで、言葉が変わってくる。それが人によって変わる。また環境によって変わる、と言っても良いかもしれないです。

社会構成主義では、社会的に求められる行いがあり、その行動をすることによって、世間に認められる、重要な他者から承認を得ようとする、という考え方をとります。

問題行動があった場合、その人の人間性にフォーカスするのではなく、その行動がどこからやってきたのか、その行動をとろうとする要因を探っていきます。他者からの期待なのか、そうすることで何かを得てきたのか、背景を探っていくのです。

そうすることで、その人が問題ではなく、その問題になる背景を見出し、その背景の意味付けを変えていく、再構成していきます。

問題の非問題化とでもいいましょうか。

ということで、ここまで書いてきて思いました。社会構成主義②のことを書いていないことをw 次回リン・ホフマンさんの論文について書きます。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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