緊急事態宣言から4度目の週末


ども、沖縄SUNです。

今日は5月2日。ゴールデンウイークです。私はゴールデンウイークも仕事ですよwうちの会社は対人支援をしておりますが、支援者がいる限り営業を続けるとのこと。新型コロナウィルスへの感染に注意しながら勤務します。

現在発令されている緊急事態(新型インフルエンザ等対策特別措置法による)は5月7日までですが、これか1カ月程度伸びる可能性がるということです。あと1カ月、大丈夫でしょうか。コロナウィルスの感染は徐々に減少してきています。それは行動の制限によってです。行動の制限を行うことは、経済の停滞を招くことになります。

この経済の停滞が給与の減少、失業者の増加を招きます。失業することは、精神的ストレスが非常に強いです。失業することで生活することが厳しくなるだけではなく、失業したことへのネガティブなイメージがあり、精神的に落ち込み、そこから生死員疾患、自殺ということが想定されるのです。

そうならないために、緊急事態は早めに解除していただき、それと同時に経済対策を進めていただきたいと思います。働いて稼ぎその稼ぎで生活が行える状態を作っていかなきゃいけません。

私の勤める会社は営業自粛の対象にはなっておらず、変わらず仕事しています。ですので、給与は変わらずいただけます。プラスして、臨時に賞与らしきものがいただけるようなので、それらを経済活動に回してきたいと思います。寄付も積極的にしてきます。

さて、ナラティブセラピー~社会構成主義の実践~第4章ですが、今日書きますよ。

今日は第4章、治療を拡げる新しい可能性 ギアンフランコ・チキン

家族療法かであるチキンさん。そのチキンが、家族療法のサイバネティックス的世界観からソーシャル・コンストラクション(現実の共同制作)という世界観へに移行についてストーリーを再構築する過程を紹介しています。

チキンは、家族療法の際、その家族が病理的であればあるほど、その家族について理解しやすくその家族ゲームの何たるかを説明しやすいくなり、「この人たちは、家族内でお互いを競争相手とみなし、負かす相手として必要としているから一緒にいるんだ」というように単一の要因で説明したり、治療者という「一段上」の立場から見下ろすような家族描写に陥っていたそうです。

家族ゲームは、エリック・バーンの交流分析の中で、人間関係の中で、様々なゲームが行われているとし、そのゲームは、「繰り返し行われる一連の交流で、最後には両者が不快な感情を残して破壊的に終わるもの」と定義しています。

家族の中で、そのゲームが行われており、権力闘争を行っているととらえていました。そして、家族に対して、チキンら家族療法家は対決の姿勢を持っていたそうです。なぜ対決なんでしょうね。妥協したら負けという気持ちがあったようです。

そうすると、家族療法がうまくいかないことがでてきます。そして、考え方を改め始めるのです。特に参考になったのが、グレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学」です。ちなみに、私がいま勉強しているのがグレゴリー・ベイトソンです。

チキンらは、家族の行動を「権力ゲームのうちの策略」とする見方から離れ、「一緒に居ることの意義を見つけようとしている」という見方にかわっていきました。この考え方の転換は、治療者は治療場面で一体何をしているのかという点を改めて考える機会になりました。

家族とい視点から治療者の視点にかわってきました。治療者自身がどのように関わって行くか、どのような視点で家族に関わって行くか、そこの転換があります。

はい、グレゴリー・ベイトソンの理論を含めて、もう少し詳しく書いていきます。続きは次回に。

自粛生活で気分が落ち込みそうになりますが、落ち込みつつ、コロナ収束後の楽しい生活のことをイメージして笑って過ごしたいなと思っています。あなたにとって素敵なGWになりますように。

 

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